テキサス移住のひきこもごも

半世紀以上住んだ日本に見切りをつけて 楽しみを追求するために2019年アメリカ移住 エンタメ、スポーツ、文化、生活など、 アメリカ在住目線で発信

2025年11月

ブログのタイトルが
「部屋とYシャツと私」みたいになっているが、
そう!ちなみに
この曲を作って歌った平松愛理ちゃんは、
私と中学、高校が同じ、
しかも同じ軽音楽部出身なのでクラブも同じ。

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アメリカの11月第4木曜日は
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Thanksgiving day

起源はイングランドからアメリカに渡ったピルグリムたちが
先住民の助けて初めて豊作を迎え、
それを神と先住民に感謝して祝宴をあげたのが始まり。

この日が祝日になったのは、
1863年。
リンカーン大統領が制定し、
1941年にアメリカ議会が正式に「11月第4木曜日」と定めた。

アメリカ人は、サンクスギビングの週あたりから
かなりの勢いで仕事をしなくなる。
この週の月曜日、オフィスに行ったら、
周りのオフィスは皆さんお休み。
弊社アメリカ人従業員も火曜日からしっかり休暇を取っていた。

そんなサンクスギビングの週の水曜日。
サンクスギビングを明日に控え、
何か買い物でもしておかないと、食べ物がないぞと思っていたそんな時、
私はギックリ腰をやっちまった。

もともと背骨の4番と5番の間の隙間が狭くなっているが
ヘルニアではないと言われン十年。
今年に入って、骨盤が痛くなることが増えて、
そろそろしっかり診てもらわなければと思っていた矢先。

少し態勢を変えて腰をクイッと捻ったときに
「あ!」
となり、そこから痛い、痛い。
椅子から立ち上がるのも困難で、
歩き方は初期のロボットみたい。
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ついにはトイレに行ったものの、
座るまではよかったが、
いざ立ち上がろとすると無理。
前にかがむ姿勢をとると激痛のため、
便座に座ったままワガオを呼ぶハメに。

脇を抱えてもらって立ち上がる。
完全に介護。

ただ全く動けないほどではなく、
一定の姿勢を保っていると痛みはないので
それほどひどい症状ではなさそう。

Webを検索すると
少し動けるなら寝たきりよりも日常生活に近い動きをしたほうが治りが早い
と書いてあったので、休み休み無理のない程度で動いていた。

”ギックリ”しちゃってから明けた次の日は木曜日。
何も料理できないと予想して、
前日ワガオに「ステーキ買ってきて」と言って
サンクスギビングデーはステーキにした。

この日、伝統的には七面鳥のローストを食べる。
しかし残念なことに私は七面鳥はあまり好きではない。
パサパサしていてチキンのような甘みもない。
パサパサした肉を好むアメリカ人には向いているのだろう。

何もできなかったサンクスギビングデーだけど、
渾身の力を振り絞ってミネストローネは作った。
そしてお家にステイしている人が
チキンのキャセロールを買ってきてくれたので、
少しサンクスギビングらしくなった。

そしてサンクスギビングデーといえば
ブラックフライデーの大安売り。
当日だけじゃなく、だいぶ前からセールは始まっていて、
「買え!買え!」と物欲を刺激してくる。

今年私がサンクスギビングデーに真っ先に注文したのは、
腰のベルト。
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ダブルで締めるタイプ。
そして女性用。
男女兼用が多かったのだけど、
男と女は腰の構造が違うので、女性向けのを選びたかった。

内側に強力なサポート付き。

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去年のサンクスギビングデーはお呼ばれがあって出かねなくではいけなかったけれど、
今年は特に予定もなくお休みで良かったと思う。

思い出したけれど、
去年のサンクスギビングデーは
朝から激しい腹痛(腸が痛くる症状でゲリったりはしない)でどうなるかと思ったんだった。
夜になってもまだ調子が戻っていなくて、
食べていないのに、食べたフリしていたっけ。

なんかあるな、サンクスギビングデー。
覚えていたら来年は気をつけよう。

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ワシントンDCで感謝祭の前日の午後、
2人の州兵が至近距離から撃たれ、
1人が亡くなり、もう1人も依然重体という事件。(11/28午後現在)

亡くなったのは、サラ・ベックストロムさん。20歳。
陸軍のスペシャリスト。
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2人は犯人に待ち伏せされ撃たれた。
サラさんは頭部を撃たれており、
病院に駆けつけた父親が
「助かる見込みはないが手を握っている」
という悲しいメセージを出した。

近所で撮った写真。
半旗になっていた。
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私のブログでもワシントンDCの治安が悪化している話は書いてきた。

アメリカの首都であるこの町は、
警察の予算や人数を減らして、
犯罪者を一度は捉えたとしてもすぐにリリース。
実質的に無法地帯にしてきた。
その結果が、
殺人、銃撃事件の増加。
*詳しい数字などは👇️こちらのブログにあるので良かったら参照してね。


そしてついに、ワシントンDCという場所は、
州兵が真っ昼間に至近距離から撃たれるというヤバいところになってしまった。

若く、才能も人望もあり、
アメリカという国のために働いていた真面目な人間が無惨にも殺されたことで、
民主党の(ここは知事も市長も民主党)
犯罪者を異常に養護し許す体質や
警察を悪の組織のように扱い、予算も人数も減らしてきた政策が、
どんな結果を招いているのか気づかなければ、
よっぽどのアホが悪魔でしかない。
(まあ、お金が動いているのだろうけれど)

今回の事件の容疑者は逮捕されている。
アフガニスタン出身のラフマヌッラ・ラカンワル(29歳)
彼は2021年にバイデン政権の「オペレーション・アリーズ・ウェルカム」でアメリカに入国した人物。
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そう、あのお粗末なアフガニスタン撤退の時。
この時に数万人規模のアフガニスタン人がアメリカに入国した。

バイデン政権は、
アメリカ政府に協力したアフガン人の保護を積極的に進め、
通常のビザや亡命手続きではなく、
緊急非難措置としてアメリカ入国を認めた。

今回の事件の犯人ラカンワルは、CIAに協力していたというが、
審査は不十分であり、危険人物を入国させたと批判が起きている。
そもそもCIAも信じられないし、
アメリカの宿敵はアルカイダじゃないの?
じゃあ、その拠点があるアフガニスタンから
何万人も亡命者を簡単に受け入れるなんて、どういうつもりなのだろう。

つくづく、この”オートペン爺さん”の罪は大きい。
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トランプ政権は、バイデン政権下で入国したアフガニスタン人の再審査を行うことを決定した。
迷惑だと思っている人もいるだろうが、
自分の身に後ろ暗いところがなければ堂々としていれば良いだけ。
タリバン政権を逃れて、安全な場所であるアメリカに受け入れてもらえたのだとしたら、
感謝することはあっても、国の治安を脅かすようなことはしないはずだ。

元々、このようなことをする目的で入国したテロリストだったのか、
入国後に何かの影響でこのような行動を起こすような考えに至ったのかはわからない。
今後裁判などがあっても真実は明らかにならないだろう。

サラさんの魂が安らかに天に登って行くことを祈るだけ。


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少し前に、松たか子主演のドラマで
『大豆田とわ子と三人の元夫』というのがあった。
ドラマそのものもなかなかおもしろかったのだが、
このエンディングテーマが刺さりまくってしまった。

STUTS&松たか子with 3exesの「Presence I (feat.KID FRESINO)]

松たか子も歌っているのだけど、
タクシーに乗っていたり、
東京=都会の夜景だったり、街の一角だったり、
そんな日常っぽい景色がバックに映る。
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MVは前半は松たか子とKID FRESINOだけが登場するが、
後半に「三人の元夫」が登場する。
松たか子が、車が行き交う早朝、もしくは夕暮れの街(東京)歩いている。
三人の元夫は、
夜の小さな歩行者だけが通れるトンネル、
ヘッドライトを点けた車の前の交差点や電車の踏切を歩いていく。
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このドラマが公開されたころ、
私はすでにアメリカに住んでいたので、
夜の交差点や街を一人でぶらっと歩く、ということが全くなくなっていた。
そこにこのエンディング映像を見てエモさ爆発。
これぞ日本の都会の景色、
これぞ東京、
と思って
とてつもない懐かしさ、まさにノスタルジーを感じていた。

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私は兵庫県出身で、アメリカに来るまでずっとそこに住んでいた。
しかし、私の活動の拠点は東京にあった。

大学生の頃からMCなど喋る仕事をしていたが、
大学をを卒業してやっと出張、つまり泊まりの仕事に行ってもよいと親の許可がおりた。

そこから私の東京生活が始まる。

実家にいると「早く帰って来い」とか「何時に帰る?」など言われるが、
東京に行ってホテルに滞在していればまさに自由。

体力と気力が続く限り遊んだ。
もちろん仕事もした。
そしてたくさんの経験をし、たくさんの人と知り合った。
しかもその時代がバブル。
そこから、アメリカに来る直前まで、
私は兵庫県に住みながら、東京を拠点に仕事をすることになる。

私にとっての東京は、エネルギーの源でもあるし
思い出が詰まりすぎた場所。

先日Spotifyを検索していたら、
「City Pop Japan 80's」というのに引っかかり、
何気なく聞くと、頭の中に
東京の夜景とそこをすり抜けるタクシー。
ビルの屋上にあるバー。
入口でスタッフに挨拶するだけで入れてもらえたディスコ。
どこかに行けば、誰かがいる。
たくさんの友人と騒ぐ夜。

若干排他的ではあったが、本当に楽しかった。

いくつになっても心はバブルのまま。
全く成長していない。
もしかしたら、その頃にしがみついているかも。

そんな諦めの悪い私は、
今日もCity Popを聞いてノスタルジーに浸っている。



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先日、ご近所の友人宅で
バーボン飲み比べさせてもらった。
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じゃじゃじゃーん。

本当は、この写真以外のものも飲んだので、
10種類ぐらいはちびっとだけど飲んだ。

がっつり結論から言うと、

良いお酒は、いくら飲んでも悪酔いしない

スタート時間も早かったし、
先になんだかんだと食事をして、お腹に入れたあと
そこにちょびちょびと流し込んでいったので、
酔っ払うこともなく、すべて美味しくいただいた


アメリカに来てから私が飲むお酒の量は本当に減った。

以前は、5時半頃に仕事が終わって、
6時過ぎにお店に入り、
ビールかシャンパンなど泡泡したものでスタート。
その後、白ワイン、赤ワインとボトルでいくのは普通。
だってボトルって6杯から7杯しかとれないので、複数で来ていたらあっちゅーま。
一緒に食事をする相手にもよるけれど、
一人当たりワインボトル1本はその日に飲み干し、
11時半ごろに電車で帰る。
とまあ、こんな感じ。

和食ならビールから始まり、
焼酎にいくときもあるけれど、
冷酒、ぬる燗などをちびちびとまた11時半ぐらいまで飲んで電車で帰る。
とまあ、こんな感じ。

そう、この
仕事のあとに食事+飲みをして電車で帰る
つまり車を運転せずに帰る
ということが、ここテキサスでは皆無。

また仕事のあとに、仕事の仲間も含めて
友人と飲みに行くなんてこともなかなかない。

日本の仕事のあとに食事してガッツリ飲んで帰るというのは、
日本が持つ文化だし、
電車が発達していて、治安がいいからならではだと思う。
楽しめる時に楽しむことができた私は幸せだ。

そして私はきっとアメリカに来て健康になったのだと思う。

そんな私にバーボンというガソリンを注入してくれた友人に感謝
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いつまでも美味しくお酒を飲むために、健康でいようと心から決心するそんな夕方。
さ、いまからビールでも飲むか


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TOYOTA北米本社は、テキサス州・Plano(プレーノ)というところにある。
以前はカリフォルニアにあったが
アメリカの真ん中にあるテキサスに移転。

私が仕事をしている会社はTOYOTAではないが、
ものすごくTOYOTAに近い仕事をしているので、
会社のメンバーは毎日のようにTOYOTAに行っている。
私を除いて。

ただ先日、TOYOTA北米本社内の会議室でミーティングがあったので、
久しぶりに本社の中に行ってきた。

ちょうど海外からのミーティング参加者もいたので、
本社建物内にあるミュージアムを一緒に覗いてきた。
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ずらずらと車が並んでいる。

一番新しい車TOYOTAが1957年に始めてアメリカに輸出された車を比べてみよう。

まずこちらが2054年のレクサス コンセプトカー。
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怪しい、怪しすぎる。
まずどっちが前なのかもわかりにくい。

後ろはこちら
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なんだこの飴細工みたいな車。
(おっと失礼トヨタ様)

でもこの車は映画『マイノリティ・レポート』に出てきたもの。
トム・クルーズがこの映画の中で運転していた「未来のクルマ」が
こちらレクサス「CS2054」

デザインスタジオ「CALTY」がTOYOTAアメリカと協力して制作。
設定では燃料電池を動力にしていて、
衝突防止機能や生態認証システムなどが装備されていた。
でもこれらの機能はもう「未来」ではなく「現在」。


さて一方こちらは、1957年。
アメリカに初めて輸出されたToyopet'クラウン。
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昔のビンテージのクルマって、逆にかっこいい。
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TOYOTAという会社は元々は車の会社ではなく
創業のルーツは織機(織物機械)のメーカーだった。

創業者、豊田佐吉が改良自動動機を発明したことから、
トヨタという会社は世界のTOYOTAになっていく。
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自動車部門の誕生は、この豊田佐吉の息子・豊田喜一郎が中心となって
1933年に「トヨタ自動車部」が作られる。
1935年にトヨタはトラックの生産を開始。
1937年に「トヨタ自動車工業」として会社が独立。
1950年代になって乗用車の生産が本格化する。
1960年代から1970年代には、トヨタ車はアメリカで
小型で壊れにくく経済的な車と評価され、
世界初のハイブリッド車を1997年に発売。
2000年代からは世界に販売店や工場を持つグローバル企業となった。


このミュージアムは小さいけれど、なかなか楽しい。
ただ残念なことに一般公開はされていないので、
社員や関係者に同伴されたゲストのみが見学できる。
ここだけは区切って、一般公開すればいいのに、と思うけれど、
会社の建物の一部なので、
関係者以外がウヨウヨ訪れることは避けたいのかもしれない。

以上、TOYOTA北米本社ミュージアムのチョコっと紹介でした。

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